ラース監督の最近の作品「メランコリア」は彼の作品の中でもハッピーエンドの部類に入るだろう。
そしてこの作品は観る人間を選ぶ。
ストーリー性や、その後、外界の事をこの作品に(シンプルな意味で)ツッコむようだったら
あまり楽しめなかったということだろう。せいぜいオープニングがきれいだったーで終わる。
さて
この映画に含まれる様々な出来事を「自分なりに」解釈して
「自分なりに」楽しんでみた。
まずこの作品は映像作品としてみた方が面白い
なぜなら1部も2部もクレアの夢、願望の世界という気がするから。
まずそれ以外の
現実世界の話に進むがこれは画面の色を見れば分かる。
黄色味がかった色でジャスティンの表情が豊富、悲しみのバリエーションが多い。
19番ホール 冒頭の映像で主人公の姉クレアがもがき歩くシーンがある。
1部で「18番ホールまである」と言うなか冒頭と2部では19番を走る。
渡れない橋 1部でも2部でもどうしても渡れない村に繋がる小さな橋
渡りたいのに渡れないのは主人公ジャスティンが村(外界)に恐怖を抱いているからだと思う。1部では馬が渡らせないのだがそれは「外界に適応したいけど出来ない」
クレアが渡れない、それでいて歩けば渡れるのに戻っているのは「クレアの夢の世界は橋までしか知らないから」と思う。
だからメランコリアが落ちて来るのを外の人が怯える描写が一切無い
だからメランコリアが落ちるのは夢
それをふまえた上で考えると
クレアはジャスティンの夢の世界に取り込まれて何をしてもなかなか上手く行かないのもうなずける
例えば
インターネットでメランコリアを検索していると電源が切れたり
執事の事はあまり知らないから謎の失踪になり
クレアの旦那も死んだ。
クレア自身の自我がある中で「うつ」のジャスティンの創り出した夢の中の世界を、願望を受け止められるわけが無い。ジャスティンが常識の世界で、クレアは異常になるに決まっているわけだ。
エンディング
本作のエンディングは素晴らしい。
クレアといううつ患者の心の一番の願いに沿った終わり方をしている。
彼女は死にたいけど本当に死にたくない、一人でいたいようで僅かながらの支えがいて欲しい。この微妙な感覚が渡れない橋に暗喩されてると思う
クレアは絶望している。自殺にすら絶望している。
だから自然に無になるのを望んでいる
そして彼女が一番よしと思ったのは「人間がどうにでも出来ない力」で滅びる事。
それを夢の中で遮られず成し遂げる事が出来たジャスティンは本当に幸せだと思った。
現実世界でジャスティンはどうなっているのかと思ったけど
多分自殺してると思う。
彼女が自殺して意識がなくなるまでの間の意識の中の話だったと思うが
作品のコンセプト的にはおそらくロマンチックにしたかったのだろう。
(例えば)
だから現実は見せず美しく終わらせて幕を閉じたのだと思う。
見せてしまったら劇的につまらなくなる筈。
まあそんな深い事考えなくても楽しめる映画とは思いましたけどね
考えちゃう性格なのでwこんな事考える人もいるという参考にどうぞ。